さてはて、本年もまた「奥座敷同人5盤」をまとめました。 新譜・旧譜に拘わらず、各人が昨年聴いた中でベストと思える音盤を僅か 5 盤にセレクトいただき、とりまとめたものにございます。この場をお借りしまして、多忙な同人の面々には厚く御礼申し上げるとともに、蘊蓄深き各御仁のセレクション及びコメントひとくさりをご快読いただければ幸甚にございます。 なお、執筆者名をクリックすると記事に飛びます。
店主鞠躬
2005年3月頃までは、奥座敷用に買った2005年のディスクを別にして置いたのだ。後であれこれ悩まなくてもいいように…。毎年恒例だし、何を買ったのか整理するために…。 ところが、なし崩しにディスクの山はあちこちにできあがり、さらに年末大掃除をしたため、結局2005年に何を買ったのか分からなくなってしまった。 それを割り出してゆくのは、なかなか大変だ…というより覚えていないのだ(^^;。毎年、同じことでぼやいているな(^^;;;;。新譜らしい新譜はめぼしいほどしか購入していないし、その年に購入して気に入ったCDはごく限られているはずなのだが、人間は忘却の動物である。忘れることによって、次のものが頭に入ってくる…はずなのだが、最近はなかなか次のものも入らない。段々と脳のキャパシティが狭くなって行くのか(-_-;)。 手前のホームページでは、2005年は「クナを聞く」のブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」で幕が開き、ブラームス:交響曲第3番の途中で暮れた。今もまだブラームスが進行中だ。よく、そんな馬鹿馬鹿しいことができるなと自分でもあきれてしまうが、始めてしまったものは仕方がない。最後までやるしかない。後どれくらいで「クナを聞く」が取りあえずの終了をできるか、まだ、まったく見えない状態だ。取りあえず最後まで行ったら、双六の振り出しに戻るように「バッハ編」から書き直すつもりでいる。シジフォスのように岩を積み上げてはまた崩し、さらにまた積み上げる営為がこれからも待っている。 テンシュテットも先に進めたいし、クレンペラーも復活させたい。希望ばかりで前に進まないのはカッコ悪いが、それほど豊かに時間が余っているわけではないから、仕方のないことではある。 毎年の恒例だし自分の楽しみでもあるので、乏しい新譜購入のなかから5盤をひねり出してみた。
2005年3月20日に東京サントリーホールで開かれたコンサートのライヴ録音である。fontecから大植のCDが3セット同時にリリースされ、そのうちの1枚。ブルックナー:交響曲第8番から聞き始め、ブログに結局3枚のCDを取りあげたのだが、マーラー:交響曲第6番の印象は日々の泡 音盤を聞くでも書いた。 ブログにある通り、最初、というか第1楽章であまりこの演奏に馴染めなかった。葬送行進曲とアルマのテーマに、そこまで落差を付けなくても…と思ってしまったのだ。さらに第3楽章まで細かな不満が残ったが、第4楽章で小生の不満は消し飛んだ。 第4楽章はかなり長く、テンションの持続が難しい楽曲でもあるが、大植は楽々とそのハードルをクリアし、素晴らしい迫力で第4楽章を驀進させる。 熱のこもった演奏や、マーラーの誇大とも言える世界を神経症的に暴き出した演奏は他にもある。 数々の名盤はあるが、大植盤の最終楽章はその熱い本物の熱気が聞く者にも伝わり、興奮を誘う演奏になっていて、十分納得できるものだった。大フィルの健闘ぶりもめざましく、小生久方ぶりにCDを聞いてカタルシスを味わうことができた。大植は最終楽章に照準を合わせ、的確に自身の音楽を組み立てている。 大植は恐らくオーケストラビルダーとしての実力も兼ね備えているのだろう。大フィルからこのような音が聞けるとは、正直思っていなかった。 この、マーラー:交響曲第6番は実に胸のすくような素晴らしい演奏であり、ブルックナー:交響曲第8番、ショスタコーヴィチ:交響曲第7番もなかなか良かった。 小生は大植に老大家のような音楽を望んではいない。これからいやでも老成してゆくのだ。3セットとも、実に若々しく優れた演奏を聞ける。是非盤。
今まで海賊CDRで聞けていた録音である。テンシュテットの東ドイツからの亡命前の録音である交響曲第1番は、海賊CDRでもなかなかよい音を聞くことができた。 ところが、交響曲第5番の方は、圧倒的に今回のWeitblick盤の方が音がよい。すでに聞いている同じ録音の、交響曲第5番のライヴには心底圧倒された。 まず、交響曲第1番だが、テンシュテットの捉えたベートーヴェンを、かなりノーブルな形で聞くことができる。スコアを眺めながら何回も聞いていると、そんなにたいしたことはやっていないように聞こえるにも関わらず、段々とこの演奏の素直な良さがにじみ出てくる。テンシュテット盤を聞きながら、他の指揮者による交響曲第1番の演奏録音をあれこれ聞いてみたのだが、最終的に、何の刺激的なこともやっていないようでいて、柔らかでしなやかなテンシュテット盤が一番良くなってしまった。シュターツカペレ・メクレンブルクも好演だし、当時の東ドイツの録音もなかなか優秀である。 交響曲第5番と「エグモント序曲」は、1980年3月20日キール・フィルとのライヴ録音。テンシュテットは1972年に当時の東ドイツから西側に亡命、最初に得たポストはキールでだった。そのキールでの1980年里帰りのようなコンサートのライヴ録音である。スタジオ録音ではノーブルな味を出すテンシュテットは、ライヴではオーケストラを煽り、もの凄い生命感に溢れた演奏を繰り広げる。この交響曲第5番と「エグモント序曲」はその格好のサンプルになりうるライヴ録音と言える。第5番は第1楽章から驀進する「運命」が聞ける。キール・フィルもしっかりとテンシュテットの指揮に付いており、時折落馬するのではないかとハラハラする箇所もあるが、大熱演を繰り広げている。第2楽章ではティンパニがそのテンポ感覚を狂わされたのか、アレ?てな箇所はあるものの、オーケストラ全体としてはテンシュテットの微に入ったスコアのえぐり方をしっかりと表出している。第2楽章にしてはもの凄いテンションである。第3楽章から第4楽章にかけても、指揮者、オーケストラとも、どこか切れてしまうんじゃないかと思える凄まじい演奏を披露している。ベートーヴェンの音楽の何たるかを端的に教えてくれる演奏とも言える。第4楽章のフィナーレに至る後半など、まるで爆発する小宇宙のようである。 「エグモント序曲」も、ローカルな味わいながらもスケールの大きな、それでいて緊張感に溢れた沸き立つような演奏である。
アメリカの特異な作曲家モートン・フェルドマンのピアノ曲。Triadic Memoriesは日本の高橋アキをはじめ、割とCDのリリース量が多い。 モートン・フェルドマンの楽曲は、どれを聞いてもたいして印象は変わらないはずなのに、Oehmsのような手頃な値段でCD屋に並ぶと、ついつい手が伸びてしまう。そして、その深い世界の中にはまってしまう。はまってしまうと容易に抜け出られない。モートン・フェルドマンの音楽は、優しい慰撫されるような音楽ではない。静謐ではあるが、底意地の悪い覚醒作用を促すようなところがある。モートン・フェルドマンの音楽は、知らなければそれに越したことはない。知ってその魅力に捕らえられてしまうと、抜け出すことができないほど危険だ。瞑想することが覚醒することなら、モートン・フェルドマンの音楽は極めて有効だ。瞑想=まどろみと誤解されている方には、モートン・フェルドマンの音楽は苦痛以外の何ものでもないだろう。 ピアノをザビーネ・リーブナーが弾いているが、このような楽曲ではうまいのかどうか、よく分からない。それでも、細い糸のような緊張感を切らしてしまうことなく、最後までそのゆったりと変化してゆく音色の移り変わりは実に美しい。 長い楽曲なので、飽きたら途中で聞くのをやめればいいのに、結局最後まで聞き、聞いている間は自分の周辺の世界が結晶化し、凍り付くのを覚醒した頭で眺めているような時間を経験してしまう。 これが、音楽を聞いている幸福感とどう結びつくのか分からない。それでもまた、モートン・フェルドマンの独特な音楽を聞くために、あるいは鳴らしておくために、CDに手が伸びてしまう。
既にKing Seven Seas盤、Music & arts盤、Golden Melodram盤で聞くことができたクナ1956年バイロイトでの記録。先行盤に比べてマスタリングはかなり成功している。こういうセットが正規盤で出てくるとは、10年前とは隔世の感がある。 先行盤でも、Music & Artsの新装廉価盤(これ、13枚のCDが紙袋に入っているまではよいが、全部糊付けされていて開けるのに困った)やGolden Melodram盤も悪くはなかったが、Orfeo D'or盤の登場によって、かなりその影が薄まってしまった。 クナには1956年の他に、1957年、1958年のバイロイトでの「ニーベルングの指環」全曲録音が残されている。1957年以降の演奏録音の方がクナの個性は強いが、1956年盤は小生にとって、スタンダードの意味合いを持っている。管弦楽も凄いが、やはり往年のワーグナー歌手達の充実ぶりには凄いものがある。ハンス・ホッター、ウォルフガング・ウィントガッセン、アストリッド・ヴァルナイをはじめとして、グスタフ・ナイトリンガー、ヨーゼフ・グラインドル、パウル・クーエン、ヘルマン・ウーデなど、第二次大戦後のバイロイト全盛時代の素晴らしい威力を持った演奏録音が聞ける。モノラルだが、楽劇を聞き進んでゆくとまるでそんなことは気にならなくなるだろう。 ワーグナーの何たるかを知らしめてくれる、クナ、不滅の記録の内のひとつである。
既にテンシュテットはベートーヴェンを振ったWeitblick盤を入れてしまったが、もう1枚入れる。2005年はテンシュテット・ルネッサンスとも言える年で、TokyoFMの1984年ライヴが、マーラー:交響曲第5番とブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」を中心にしたセットが2組正規リリースされたし、ロンドン・フィルレーベルやBBC Legendsからもライヴ・レコーディングがリリースされた。HänsslerのPlofilというレーベルからも、都合4枚のテンシュテットのライヴがリリースされた。テンシュテットの演奏録音は、海賊CDRのリリースにも新しいレーベルが加わり、相変わらず玉石混淆で盛んだ。海賊CDRでは、ミネソタ管弦楽団とのマーラー:交響曲第3番(Karna)てな素晴らしいリリースもあった。 そのように夥しいテンシュテットのCDがリリースされる中で、Plofilはどれも素晴らしい。中でもテンシュテットのレパートリーとしてはあまり聞くことのできないプロコフィエフの交響曲は良かった。小生、昔から案外プロコフィエフの交響曲が好きで、いろいろと漁るのだが、フェヴァリッツになりうる録音は数少ないというのが現状だった。その点で、テンシュテットのライヴ録音の出現は実に嬉しかった。少し重く暗い表現だが、その情感の表出と構成感に優れた演奏である。
Testamentはクレンペラーのライヴ録音の発掘に熱心で、このベルリン・フィルとのベートーヴェン・プログラムの他にも、驚愕の1968年ウィーン・フィルとのボックスをセットでリリースしてくれたり、ウィーン交響楽団とのマーラー:交響曲第4番をリリースするなど、実にありがたいレーベルだ。大体どれも今までイタリアのレーベルや海賊盤で聞けていたものだが、音があまり良くなかった。 ベルリン・フィルとのベートーヴェン:交響曲第4番と第5番も、今までArkadia盤で聞くことができていた。 しかし、その聞ける音の差はかなりのものだ。Arkadia盤はけっこう素直な音だったが、Testament盤の敵ではない。Testament盤はモノラルながら広い帯域でクレンペラーとベルリン・フィルの名演を堪能させてくれる。 クレンペラーはユダヤ人だったため、ナチドイツから亡命せざるを得なかったが、頭の先からつま先までドイツの指揮者だった。クロル・オペラ時代は当時のモダンな音楽も指揮をしていた。ワイマール時代のドイツでは伝統的な音楽とは一線を画すように前衛的な芸術運動があり、クレンペラーはドイツ伝統に根ざした指揮者だと晩年は捉えられたが、実はかなりモダンな指揮者だった。今も、ストラヴィンスキーやクルト・ヴァイルの楽曲を晩年のクレンペラーが振った録音を聞くことができるし、バッハ:ロ短調ミサなど、後年のピリオド楽器による現代的な演奏を先取りしている部分があったりする。何より、クレンペラーは若い頃からドイツの大指揮者だった。 その徹底してドイツの指揮者クレンペラーとベルリン・フィルは、演奏機会は少なかったかも知れないが、お互いを惹きつけるような相性のようなものがあったのではないか、と思える記録が、このベートーヴェン:交響曲第4番と第5番のライヴ録音である。 テンシュテットの驀進するベートーヴェンとは異なり、クレンペラーの落ち着いた、まるで煽ることのない演奏は、堂々としたベートーヴェンの楽曲の姿を現出させていて凄いなと思う。クレンペラーのおっかない指揮姿と、ベルリン・フィルはどこかでマッチする。クレンペラーとベルリン・フィルの演奏録音はそう多くは聞けないわけだが、「これが本物」と言われれば「あ、そうですか」と納得してしまいそうな演奏記録である。
年を追うごとに、聴く音楽が固定化してくる。特に2005年(ショスタコーヴィチ没後35年)は、僕の好きなソ連/ロシア系の音盤に注目すべき新譜が多かったこともあり、それらを追いかけるだけで精一杯だった。2006年はショスタコーヴィチ生誕100年のアニバーサリー・イヤー。一極集中型の音盤蒐集に拍車がかかりそうだが、まぁ、こういう時期もあっていいのだろう。ということで、あまり変わり映えのしないチョイスとなった。
待望の「森の歌」DVD。音源は既発のCDと同じものだが、入手困難のためにネットオークションなどでは異様な高値で取引きされていたこともあり、今回のDVD化を喜んでいるマニアは少なくないだろう。演奏については、今更何も言うことはない。ライヴゆえの瑕はもちろんあるが、この曲のあるべき姿を理想的に描き出した唯一無二の名演である。これを映像で観ることのできる幸せ!楽譜の持ち方も姿勢もバラバラな合唱団からあの響きが繰り出される様、第5曲で狂ったように叩きまくっているティンパニのスネギリョーフ、最後の和音を猛烈かつ強引に引き伸ばさせるスヴェトラーノフの棒などなど。いずれもCDを聴いている時から想像していた映像ではあるが、こうして実際に観ると感動が一層増す。また、字幕で歌詞を見ることができるというのも、映像ならでは。大人数で、しかも真剣にあんな歌詞を朗々と歌うというのは、一体どんな心理なのだろうか。そして、ショスタコーヴィチはどんな気持ちでスコアを書いていたのだろうか。色々と考えさせられる。とはいえ、この凄絶でエネルギッシュな音楽の奔流の前では、所詮、時代を共有していない異国の若造の考えなどあっさりと吹き飛ばされてしまうけど。 Dreamlifeのスヴェトラーノフ・シリーズは、8〜10月にかけて月に一度のペースでリリースされたが、ショスタコーヴィチ関係では、交響曲第5 & 6番(Dreamlife : DLVC-1149 ; DVD)、チェロ協奏曲第2番(ロストロポーヴィチ)・ヴァイオリン協奏曲第1番(L. コーガン) (Dreamlife : DLVC-1150 ; DVD)というお宝が僕の財布を直撃。チェロ協奏曲の初演やショスタコーヴィチ生誕70年記念演奏会のライヴなど、歴史的な価値もさることながら、演奏そのものが傑出している。ギクシャクしたフレージングや知情意のバランスの悪さなどから、スヴェトラーノフはこれらの曲が得意ではなかったことが窺えるものの、全身で音楽の強さを表現することによってオーケストラから莫大なエネルギーを引き出しているところは文句なしに凄い。曲良し、演奏良し、画質・音質のみ悪し。 ソ連系のDVDでは、2003年8月8日にクレムリン宮殿で行われたフヴォロストーフスキイの演奏会を収録した「Russian songs from the war years」(VAI : 4318 ; DVD)が素晴らしかった。“2003年の5盤”で取り上げた、大祖国戦争の前後に愛唱されたソ連の大衆歌曲を集めたCDの収録曲から13曲が歌われている。壮麗なバックを従えたフヴォロストーフスキイの格好良さもたまらないが、たとえば「暗い夜」を聴きながら涙を拭うこともせずに泣きはらす老女の姿や、「私のモスクワ」で観客が総立ちになって一緒に歌う姿を見ると、この戦争が当時のロシア人にとってどういう体験だったのかが僅かながらも伺える。同じくフヴォロストーフスキイが参加した「サンクト・ペテルブルグ・ガラ2003」(TDK : TDBA-0072 ; DVD)は、サンクト・ペテルブルグ建都300年を記念するガラコンサートの映像。テミルカーノフの伴奏で歌うネトレプコとフヴォロストーフスキイも良いが、トレチャコフによるサン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」が実に達者な演奏で印象深かった。すべてが合理的で、全部の音が完璧に輝かしく響ききっている。時に泥臭さを感じさせる歌い口も魅力的で、せめてもう一曲くらい聴きたかったというのが本音。この世代の旧ソ連出身演奏家の底力を再認識させてくれる演奏である。 思わぬ拾い物だったのがハチャトゥリャーンのドキュメンタリー映画(VAI : 4298 ; DVD)で、全編に渡って大変興味深く観ることができた。1948年のジダーノフ批判やスターリンとの関わりなどの描き方に目新しいものはなかったが、ハチャトゥリャーン自身の演奏映像など、貴重な映像が目白押し。「ガヤネ」や「スパルタカス」の、典型的なソ連様式の舞台を観ることができるのもたまらない。オーイストラフ独奏のヴァイオリン協奏曲も一部だがカラーで収録されている。このDVD最大のみどころは、ロストロポーヴィチ、ハチャトゥリャーン/ソヴィエト国立SOによる「コンチェルト・ラプソディ」の全曲映像。これは凄い。冒頭のホルンの強奏で一気に引き込まれ、最後まで息をつかせぬ凄演が繰り広げられる。
SACD初のショスタコーヴィチ全集。録音の品質において数あるショスタコーヴィチ全集の中でダントツのNo. 1であることに、疑う余地はない。しかし、この全集の魅力は演奏そのものの素晴らしさにある。総じて中期作品はあまり冴えないが、技術的にも音楽的にも極めて高い水準でまとまっていることに感心した。隅々まで丁寧に磨き上げられた響きと確信に満ちた音楽の流れが特徴で、やみくもなエネルギーには欠けるものの、手応えのあるコクが全編に満ちている。第2、3、11、12番は、特に傑出した仕上がり。第1、4、5、7、9、10、13番も悪くはない。第6、14、15番は、部分的にはともかく、全体としての印象が薄い。残念ながら第8番はやや不出来。ショスタコーヴィチの交響曲全集は、NAXOSのスロヴァーク盤を除いてはいずれもそれぞれに存在価値のあるものばかりだが、録音の優秀さも考慮すると、バルシャイやN. ヤルヴィを凌ぎ、ハイティンクに匹敵するのではないかと思う。 ショスタコーヴィチ関係では、カエターニ/ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ響(Arts)とコフマン/ボン・ベートーヴェン管(MDG)の交響曲シリーズが順調にリリースされ続けている。いずれも安定した仕上がりで、良質な全集が仕上がるものと期待される。オーソドックスなのはカエターニだが、ショスタコーヴィチが苦手な聴き手にはコフマンが良いだろう。交響曲で印象的だったのは、ラザレフ/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管(LINN : CKD 247 ; SACD)による交響曲第11番。近年のショスタコーヴィチ録音の中でも特に傑出した一枚で、作品の隅々まで把握しきったラザレフの解釈が極めて説得力に満ちている。ともすれば標題性に押し流されて極端なテンポ設定をする指揮者が少なくない中、一つ一つの響きを噛み締めるような両端楽章と幾分あっさりとした中間楽章の対比は、この交響曲の音楽的な魅力と完成度を再認識させるに十分足るものである。 歴史的録音としては、ミトロプーロス/ニューヨーク・フィルのアテネ・ライヴ(Urania : URN22.272)が異様なまでにテンションが高い熱演で印象に残った。注目の交響曲第10番は、スタジオ録音に聴かれた硬派な凄みは後退し、どこか発散するような生気が溢れているところが特徴的。とはいえ、こうした熱狂も悪くはない。交響曲第5番では、ケーゲル/NHK響(KING : KICC 3058)とA. ヤンソンス/レニングラード・フィル(Altus : ALT094)のライヴが立て続けに発売されたが、どちらも非常に立派な演奏ではあるものの、他を寄せ付けない名演というほどではなかったのが残念。 LPでは、ロジデーストヴェンスキイ/ソヴィエト国立文化省響による交響曲第10番の旧盤(Melodiya : C 10-18617-18 ; LP)とE. ハチャトゥリャーン/ソヴィエト映画省響(Melodiya : D 11327-28 ; 10" mono)による映画音楽「五日五晩」組曲が最大の収穫であった。両者ともCD化は一切されていないが、それが惜しまれる優れた内容である。 コアなショスタコーヴィチ・マニアの間では、ハイルディノフ & ストーン(Pf)による交響曲第4番の2台ピアノ用編曲(Chandos : CHAN 10296)が話題となった。オーケストラでは響きに埋もれてしまってわからない和声の仕掛けや、対位法的な絡みが明快に聴き取れるのが面白い。
長らく探していたが廃盤で見つからなかったレイフェルカス&テミルカーノフの「死の歌と踊り」が、RCAの“Classic Library”というシリーズの一枚として復刻された。一聴してたちまち、レイフェルカスの張りのある美声に惹きつけられる。もちろん表面的な美観に終始せず、ムーソルグスキイ独特のロシア魂が力強く歌い上げられていることは言うまでもない。しなやかでありながら厳しい響きを奏でているオーケストラも立派。極めて完成度の高い名演である。それにしても、本当に素晴らしい曲だ。カップリングの二曲もなかなか秀逸。特に「展覧会の絵」はスケールが大きく、それでいて流麗な流れに貫かれた格調高い美演。ロシア情緒やエグさのある咆哮にも不足することなく、この曲の一二を争う名盤だと思う。 ロシア物では、初めて聴いた作品に掘り出し物があった。まずは、チャイコーフスキイの「聖ヨハネス・クリソストムの典礼」という実に美しい合唱曲。ポリャンスキイ/ソビエト文化省室内Cho盤(Yedang : YCC-0091)で聴いたのだが、生まれて初めてチャイコーフスキイ作品を良いと思った。もう一つは、スヴェトラーノフ他のスクリャービン交響曲& amp;ピアノ・ソナタ全集+ピアノ協奏曲(Venezia : CDVE 03298)。いずれも既発音源であるが、実は、スクリャービンの交響曲をまともに聴いたのは初めて。交響曲の素晴らしき破廉恥さに圧倒された。ピアノ・ソナタは随所に滲み出るロシア情緒が魅力的なものの、全10曲を一気に聴くと、音楽の多様さに比べてミハイロフのピアノががやや一本調子な感は否めない。
2005年4月10日に亡くなった1st Vn奏者ノルベルト・ブレイニンの追悼盤。1977年、イギリス・スネイプのモールディングス・ホールで行われた秋期音楽祭での公演を収録したもの。主催者がブリテンとピアーズの協力を得るために、ブリテンとシューベルトだけをフィーチャーしたらしい。脂っこいブレイニンのヴァイオリンの自在な美しさと、雄弁かつ堅実に音楽を形作る残りの三人とのバランスが絶妙な、何とも魅力的な音楽が繰り広げられる。とはいえ、単なる1st Vn主導のスタイルでないことは、ブリテンを聴くだけでも疑う余地はない。ゆったりしたテンポでしっかりと歌いこんでいくアマデウスQの演奏には、そこはかとない懐かしさが感じられる。プリースのチェロも完全に四重奏団に同化していて、これこそ室内楽の真髄というべきだろう。 このDVDと甲乙つけ難かったのが、「ボロディン四重奏団―演奏会とマスタークラス」(RUSCICO : RUSD9566DVD ; DVD)。メインのコンテンツは、DISC-1がVcのベルリンスキイによるドミナントQへのマスタークラス(ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第4番、ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第8番)、DISC-2がボロディンQの演奏会(ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第2番、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第8番)だが、ショスタコーヴィチの未亡人イリーナをはじめとする多数の関係者へのインタビュー、ボロディンQ関係の写真集に加えて、特典映像まで!さらに、ボロディンQの演奏記録を収録したブックレットもついている。本編には日本語字幕まであり、まさに至れり尽くせりの膨大な内容である。特に見応えがあったのは、ベルリンスキイのマスタークラス。ベートーヴェンにおける、全ての音を意識的に解釈し尽くそうとする姿勢には、鬼気迫るものを感じた。「fpとsfzとrfzをきちんと弾き分けなければならない」といった類の、演奏上非常に参考となるコメントも多数。事細かな指導が行われたベートーヴェンに対して、ショスタコーヴィチでは全曲を一気に聴き通してその音楽に深く感動するベルリンスキイの姿が、見る者の涙を誘うほどに印象的。演奏会での演奏は、ショスタコーヴィチの説得力、ベートーヴェンの鮮やかさ、いずれをとっても非の打ち所がない。各メンバーの個性が際立つリハーサル映像や、ボーナス・トラックとして収録されている、ボロディンの弦楽四重奏曲第2番とショスタコーヴィチのピアノ五重奏(どちらも第3楽章)も、見逃すことはできない。 ドゥビンスキイ時代のボロディンQによるブラームス:クラリネット五重奏曲(Chandos : CHAN H10151)は、骨太な抒情が全開するロシアのブラームスでたまらなくロマンチック。クラリネット(モズゴベンコ)の音色がややきつめだが、音楽の重心が四重奏寄りなので、さほど気にはならない。第4楽章の冒頭など、最初の音を聴いただけで泣けてしまう。カップリングのモーツァルト:弦楽四重奏曲第15番では古典的な造形が光る。
アルバン・ベルクQは、僕のアイドルである。主としてピヒラーの音楽的キャラクターが色濃く反映された彼らの演奏スタイルには、賛否両論がある。弦楽四重奏を愛好する人達の間では、むしろ否定的な感想が多いことも知っているし、彼らが何を否定しているのかも理解するに難くはない。だがそれでもなお、アルバン・ベルクQは、僕のアイドルである。彼らがいたからこそ、室内楽とりわけ弦楽四重奏曲の魅力に開眼し、それがきっかけでフィッツウィリアムQのショスタコーヴィチ全集に出会い、ショスタコーヴィチの世界に足を踏み入れることができた。数々のソ連人の名演奏家も、改めて言うまでもなく僕のアイドルである。でも、僕にとってアルバン・ベルクQは別格の存在である。 アルバン・ベルクQのヴィオラ奏者、トマス・カクシュカ氏が64歳という若さで2005年7月4日に逝去された。とてつもない喪失感がある。何か一つの時代が終わったような、大げさに言えば、親を亡くしたような気分である。 このタンゴ・アルバムは2004年6月のリリースだが、カクシュカが参加した最後の録音となった。「タンゴ・センセイションズ」では、グロルヴィゲンの非力さがどうしようもないとはいえ、弦楽四重奏の充実度がそれを補って余りある。多彩かつゴージャスな響きの魅力やアンサンブルの練り上げの見事さは、さすがこの団体ならではのもの。彼らの威力は、「アデュー・サティ」でより一層発揮されている。「AA印の悲しみ」は、編曲自体に不満が残る。 その他、印象に残った音盤を思いつくままに挙げる。 非常によく聴いたのは、ヨッフム/ベルリン・フィルによるブラームス:交響曲全集(DG : 449 715-2)。弛むことなく終始一貫した速めのテンポは瑞々しくも迫力十分で、晦渋さとは無縁の重厚さを持っているのが凄く、ヨッフムの魅力が十二分に発揮されている。フルトヴェングラー時代のベルリンPOの音色に加え、やんちゃな盛り上がりが有無を言わさず聴き手を興奮させる。第1番の終楽章コーダとか、第3番の両端楽章などは、そうした特徴が顕著。一方、第4番の終楽章は毅然とした王道を行く演奏で、これも素晴らしい。ただ、緩徐楽章では濃密な雰囲気に欠ける側面もあり、何度も聴き返している内に、当初感じたほどには名盤だと思えなくなった。同じくブラームスの交響曲第2番は、ベーム/ベルリン・フィルの名盤が「Musik...sprache Der Welt (音楽…世界共通の言葉)」というシリーズで復刻された(DG : 474 989-2)。カップリングのレーガー:モーツァルトの主題による変奏曲とフーガが、いぶし銀の秀演。 アマ・オケのエキストラ出演に際して勉強用に聴いた音盤の中にも、忘れ難い物が何点かあった。いずれも名だたる名盤なのだろうが、僕の守備範囲外の作品群ということもあり、何をいまさら…と言われることを承知で挙げておく。名歌手ロッテ・レーマンの弟であるフリッツ・レーマンとベルリン・フィルによるヘンデル:水上の音楽、王宮の花火の音楽(Archiv : 457 758-2)が特に素晴らしく、繰り返し聴いた一枚。きびきびとしたテンポと華やかな音色、恥ずかしげもなく耽溺する歌…明らかに一昔前の演奏スタイルだが、しかしそれが何とも魅力的に響く。サヴァリッシュ/ドレスデン・シュターツカペレによるシューマンの交響曲全集(+「序曲とスケルツォ、フィナーレ」) (EMI : 7243 5 67771 2 5)も、立派かつ壮麗で、折り目正しく模範的なバランスとフレージングが達成されていながらもニュアンスに満ちた音楽が繰り広げられる、音楽の完成度が極めて高い名盤。ノーマン(S)、カラヤン/ウィーン・フィルの「ワーグナー・ライヴinザルツブルク」(DG : POCG-20031)の美しさにも言葉を失った。カラヤンにしてもウィーン・フィルにしても、ここまでの演奏というのはそう滅多に実現し得なかったに違いない。あらゆる音が優しく豊かに響き、隅々まで磨き抜かれている。完璧な音楽。 DVDで印象深かったのが、「アストル・ピアソラのポートレート」(Opus Arte : OA0905D ; DVD)。とにかく、そのボリュームが圧倒的。BBC制作のドキュメンタリーだけでも約100分。これに晩年のセステートのライヴ、関係者のインタビューなどがボーナス・トラックとして収録されている。本編のドキュメンタリーも貴重な映像満載の素晴らしい内容だが、やはり注目はセステートのライヴ。この編成、実はあまり好きではなかったのだが、こうして映像で視聴すると抗し難い魅力があることを再認識。チェロのブラガートはさすがに年齢的な衰えが痛々しい一方で、ピアノのガンディーニはコンディションが良かったのだろうか、非常に優れた演奏を聴かせている。 思わぬ拾い物だったのは、寺井尚子の「ジャズ・ワルツ」(EMI : TOCJ-68060)。表題曲がショスタコーヴィチのジャズ組曲第2番の第2ワルツだということに加えて、あちこちで高く評価されているのを見てそれほど期待もせずに購入したところ、良い意味で裏切られた。どちらかといえば落ち着いた渋めのヴァイオリンの音色のせいか、伸びやかで嫌味のないお洒落さがとても心地よい。ピアノとベースの大人な雰囲気も素敵。こういうのをジャジーというのだろうか。
古典では、年間通じてシマノフスキを聴いてきたが、ヴィットらによる EMI の管弦楽集の廉価 CD セットに、改めて蒙を啓いてもらった感じ。また、EMI の復刻シリーズのブランコ集も思いのほか濃い出来ばえに驚いたが、トゥリーナはともかく、ファリャが少なかったのが残念。アーベントロートも結構聴き、窮めて質朴壮大なブルックナーに耳を奪われたが、それを語る術は私にはないのでやめておく。 その他、トーテンベルクやペトゥレのヴァイオリンも、クレムペラー&VPO ボックスも、バティスのロドリーゴ・ボックスも、ザンデルリンクの「ヘルデンレーベン」も、ファッツ・ウォラー・ボックスも、ロバータ・ガンバリーニも、ダデヴィク・オガネシアンも、ジャネット・サイデルも、ヤスクーケ・トリオも、ふちがみとふなとも... その他たくさんの素晴らしい録音に恵まれたが、今、言葉としてうまくまとめられない。以下、特に序列はなく 5 枚。
ドナー、マハールらベルリン気鋭の若手軍団にピアノのシュリッペンバッハが加わったクインテットによるモンクの全曲集。モンクの楽譜から彼の断片フォト、録音起こしに至るまで調べ尽くせるだけの作品を録れた由。古典でいうところの「作品」観念と違い、あくまで組み直した骨格にプレーヤが生命体を吹き込んで有機化する。 これまで各自が個別にモンクには取り組んできているわけだが、ここではクインテットとしてのスクラップ・アンド・ビルドによって再生成されている。アレックスに限らず、ドナーやマハールら個々及び一体プレイの破格な面白さは言うまでもない。だが、それでもやっぱり私はモンクの実像がうまくつかめないのも事実。正直、演奏の面白さを通り越してわかるモンクの面白さって何だろう、と。まぁ、答えが出てこない理由は何となくわかっているが、それを書いても決着しないのでやめとく。しかし、そういう循環にあってこそ、何度も聴いてとても愉しめたという次第で。
年末に聴き、唸った。これは文句なく素晴らしい一枚。大泉学園の『inF』で、ブラームスのピアノ三重奏曲第1番プロジェクトから展開することになった黒田京子トリオ。本盤は富樫雅彦、ヒンデミット、ブラームス、そしてオリジナルで編まれ、室内楽と即興演奏の巧まざる融合。いや激しい往来というべきか。 当盤については、野々村さんが『Improvised Music from Japan 2005』で既に批評しておられるし、ここでも書くだろうから簡単に(笑)。私的には、美しさと凛々しさに耳を奪われてみたり、ダイナミックで剛胆な愉悦に破顔したり、辛辣なぶつかりあいにのめり込んだりと、このトリオから色々な音楽要素と表現の振幅を享受できた喜びは筆舌に尽くしがたいものがある。それでも録音は録音、これも彼らの一コマに過ぎないのだろう。このトリオの深化をライブで未だ追跡できないのが一番悔やまれるところだ。その意味でも、黒田京子トリオの最新作が待たれる。
秋にエーベンの録音をたくさん集めて聴いてみたが、シアゲルがダントツでうまいと思っていたけれども、シャープにかたぶきすぎ、エーベンのどろんとした闇、晦渋、皮肉の描き出しが意外に浅いと感じもした。エーベンは、実直なヒューマニストである。彼の音楽が示す現実と彼本来の倫理性とは複雑な拮抗・相克の関係にあり、その内実をすっぱりと落としてしまうと、ある種の物足りなさも感じてしまう。その点、チェコの人たちの録音は、概して鈍重に聞こえるほど響きの厚みと豊満さに溢れ、エーベンの太く実直な魅力を見せつけてくれたのは意外と面白かった。 にも拘わらず、第4集での「日曜の音楽」での蠢動の乱立と波動、地中から空中を駆けめぐる多様な和声の鮮やかなさばき方など、シアゲル盤は圧巻だった。他演ではヴァニーチェク(amabile)もケレン味のない爽快感を認めたが、シアゲル的なまとめの方が潔いかもしれない。また、第5集での「オクナ(窓)」では、どれだけラッパがうまかろうと、通例ラッパの技術の頑張りを聴くだけの浅い演奏に陥りやすいが、ここでは両者が不可分な溶け合いをみせる幻想的な陰翳が美しい。 なお、オルガン関係では当盤のほか、グラムストルップによる「The Land of Living」(Classico)が非常に印象に残ったが、30年代のレジナルド・ディクソンの SP 復刻 CD 数枚、マルシャルの古い録音や英国勢によるヴィドールなどLP群の収穫を除けば、総じて低調だったかもしれない。
Naxos のエロル・ガーナー集にしようかと迷ったが、一番聴いてきたこともあり、ペイフェにした。ペイフェは、フランスの音楽一家の生まれ。元々パリ音楽院などでクラシックを修めた人だが、20歳からジャズを始め、54年に渡米。テイタム、ウォラーやガーナーに心酔したらしい。春先に彼の渡米後の「Don't Blame Me」を聴き、からりとしたセンス、細やかでピアニスティックな音色感に好感、現役盤で聴けるものを探したが、今は精々 3〜4 枚程度。しかし、彼の良さが完璧に捉えられた良い録音はまだ復刻されておらず、うち、一番良かったのが本作。自作ソロの〈ブラック・ムーン〉など前衛っぽさもあるが、彼独特の瀟洒な音色とタッチが活き活きとするクァルテットでのスタンダードがよい。 余談だが、他に聴いた50年代前半パリで録音した「La vie en Rose」やトリオでの「plays standards」は、ソラルほどではないにせよ闊達な躍動、そして独特の洒脱があって楽しめるものなのだが、ガーナーの物真似臭さなどもあり、渡米してからの吹っ切れたような感覚の方がより面白いみたいだ。そういえば、かつて植草甚一が「Peiffer plays Can Can」(LP)を絶賛していたが、是非聴いてみたいものである。
3番の良かったアンダ&ブールのバルトークのピアノ協奏曲集(col legno)とも迷った末に、やはり頻繁に聴いた方を選択。当盤、情報入手以来、なかなか取れずに苦慮していたら、ようやく英国のショップで取れた。 ペーテルスは、トゥルヌミール門下、ベルギーではジョンゲンとともに重要な作曲家であり、やはりオルガン作品に特徴がある。彼の作品は、暗い時代を乗り越える天上的な明るさと清々しい力強さがベースだが、僅かに苦みを加えることで立体的な陰翳を獲得している。 このオルガン協奏曲は、まさに深く、甘く、強く、激しい響きの織りなす一大スペクタクル。オルガン以上に美麗かつ豊穣な管弦楽の歌と響きこそ聴きもので、前世紀のオルガン協奏曲の中で、ジョンゲンの《サンフォニ・コンセルタント》と並び賞されるべき名作である。これまではヴィスキルヘンの録音(独モテッテ)しかなく、ソロはともかくバックの管弦楽が満身創痍だったため、いい(管弦楽)演奏を鶴首してきた。当盤はその価値あり、暗記するくらい聴きまくった。会堂音響の豊かさを背景に、管弦楽、オルガンともども朗々と対話し融和する。ひとまずやっと溜飲を下した。
昨年は、一昨年以上に新しい音楽との出会いは少なく、批評サイトの更新頻度も落ちたが、音楽的にはなかなか実り多い一年だった。これまで地道な活動を続けてきた音楽家たちが「化けた」瞬間を、何度も目撃することができた。例年通りの5+1盤に加えて、それ以外で特に印象に残った10盤もさらに挙げておきたい。
昨年もCDは結構買ったが、いかなる観点からも第1位はこれしかない。彼らはファーストアルバムから網羅的に聴いてきたが、ここでは初めて聴いたように書いてみる。編成はヴォーカル渕上純子とベース船戸博史のデュオ。メロディラインはミニマムな2度の上下行を中心に、時折3〜5度の上下行とオクターブ上昇が挟まる、今時珍しいくらいシンプルな調性音楽だが、歌詞にぴったり寄り添った渕上の精妙な声の表情と、付けと外しの判断が絶妙な船戸のベースが合わさった情報量は、楽典の枠には収まらない。例えば、「みみ〜〜、みみ〜〜、みみ〜、みみ〜、みみ〜」を、E音とF音の交代だけで歌う<耳国国歌>にすら、壮大なドラマがある。カヴァーでは、「ローファイの父」Daniel Johnstonの"Story of an artist"の、思いのたけを歌うともなく語る饒舌な原詞を、ぎりぎりまで刈り込んで一音一語に訳してから歌い、「元祖・変な外人」バートン・クレーンのSPから、特にブッ飛んだ内容の曲ばかり探し出し、彼らが即興でギャグを言っているとしか思えない間合いで再現する。録音に至るまでの試行錯誤が、豊かな音楽に結実した。
2004年1月に活動を開始した黒田京子(Pf.)・太田恵資(Vn.)・翠川敬基(Vc.)トリオの2004年末時点の総決算。翠川の最近の曲、黒田の初期の曲、太田の倍音唱法をフィーチャーした即興など盛り沢山。富樫雅彦の3曲(haze, waltz step, valencia)が一番の聴きもの。富樫がソロ即興で聴かせる繊細な表現が、作曲作品の演奏で聴けるのはこれが初めてかもしれない。富樫の音楽は、作曲作品でも「ジャズ」という制度のはるか外側にあることを、クラシックのピアノトリオ編成が解き明かした。トリオ結成の契機になったブラームスのトリオ第1番の冒頭も収録されている。彼らは日々のライヴではさらに先に進んでおり、このユニットは日記を付けるようにCD-R音源をリリースすべきだと思う。
レビュー特集ということで、大量寄稿しているインサイダー中のインサイダーだが、付録CD2枚の人選には全く関与しておらず、そちらへの評価のみでランクイン。大雑把には、若手エレクトロニクス奏者、中堅即興音楽家、ノイズの大家を中心とする顔触れだが、コンピレーションアルバムとして非常に質が高い。脱力しているようでとてつもなくアグレッシヴな和田ちひろのソロ、ラップトップを用いた声の変調に熟達の手腕を見せる足立智美のソロ、大島・大谷・植村のトリオになって切れ味が格段に増したsim、大谷資料館採石場跡の残響を巧みに取り入れたDIVERというあたりが特に印象に残ったが、計21トラックに捨て曲なし。メルツバウや水谷聖が音源を寄せている(「電子雑音」誌系ライターも多数寄稿している)ことで、従来とは異なった読者が得られたとしたら、メルツバウのラップトップ化以降の音源21組をレビューした者として嬉しい。
Tatsuya Nakatani (percussion), Vic Rawlings (open-circuit electronics), Ricardo Arias (balloon kit)のトリオ。編成だけ見ると、中谷のボストン時代の活動の延長のようにも思えるが、音の質感は全く違う。ポイントはエイリアス。彼の楽器は、膨らませたゴム風船の表面を擦る音を増幅したものだが、小音量の時は管楽器の息音メインの「音響プレイ」のパロディのように響き、大音量になると超低音域の分厚いノイズマシンとして機能する。ローリングスもこの録音ではチェロは使わず、自作回路の濁った発振音と接触不良音を撒き散らす。中谷も金属打楽器を弓弾きしたり擦り合わせたりして、濁ったノイズを生み出し続ける。ひとことで言えば、音響的即興を通過したノイズミュージック。この傾向のポストロック版が京都のCulpis (PARA disc, PACD011)である。
津上研太(S.Sax.,A.Sax.)は、渋谷毅オーケストラ、大友良英New Jazz Quintet / Ensemble / Orchestra、菊地成孔のDate Course Pentagon Royal Gardenと、今日の日本のジャズ周辺のシーンを代表するユニットのフロントマンを務めている。彼が、南博(Pf.)、水谷浩章(Bs.)・外山明(Ds.)というこの世界でも特に創造的なメンバーを集めたリーダーユニットがBOZOである(「七色の変化球」で名高い彼の祖父、若林忠志のニックネームから命名)。ただしファーストアルバム(ewe, EWBE 0003)は、ピットインの常連ユニットと交換可能な「よくある日本のジャズ」以上のものではなかった。しかしこのセカンドアルバムでは、津上の繊細な音色感覚が全面的に発揮され、それがアンサンブル全体に広がって、もはや逆立ちしても「日本的キッチュ」ではないオリジナルな音楽が展開されている。大友が「音響」的な語法の助けを借りてNew Jazzプロジェクトで行おうとしていたことを、津上は正攻法でスマートに実現してしまったのではないか。
結局、ベスト5にクラシック(現代音楽を含む)は残らなかった。昨年はそういう年だったのだろう。単純比較ではないものを入れられる次点枠に、ギーレンのマーラー交響曲全集を完結させた(ただし、ボックスセットには第1楽章のみの旧録音しか入っていない)第10番クック版の最新録音を挙げたい。B.A.ツィンマーマン作品を通じて身に着けた、あらゆる音型を掬い上げてバランス良く鳴らす手腕は今回も健在だ。「マーラーの最高傑作」にふさわしい録音がようやく生まれた。衝撃的な音響はしばしば現れるが、対旋律が密に埋め込まれたそれまでの交響曲よりもはるかに薄い響きは、従来はクック版の限界だと思われてきた。だがギーレンは、むしろこれこそがマーラーの書法の変化を的確に捉えた補筆なのだと発想を転換して録音に臨んだ。この解釈には、このシリーズの2番や6番のような直接的な感動をもたらす表現はないが、この曲はマーラーの通常の作品であって「別枠」ではないことを、静かに主張した意義ある一歩である。 以下では、これら以外の気になったディスク10枚に簡単なコメントを付けておく。 (a) Bartók: String Quartets (Rubin Quartet; Brilliant, 6901) (b) Frank Denyer: faint traces (mode, 151) (c) John Tilbury: Live in Barcelona (Rossbin, RS021) (d) 齋藤徹 / 井野信義: Bass Duet (Senkoji, SENCD-002) (e) Merzbow: Rattus rattus (Scarcelight, SLR40) これらは、「もうひとつのベスト5」と言うべきもの(順不同)。(a)は、減点法で採点すると難もあるが、全6曲の変遷を的確に把握したトータルな解釈としては、エマーソン四重奏団盤を凌ぐ録音と言っても大袈裟ではない。一昨年中に買っていれば、前回のベスト5に入れたと思う。(b)は、数年前にリリースされた室内楽作品集(ETCETERA, KTC 1221)に匹敵する素晴らしさ。英国実験主義唯一の生き残り(ブライヤーズやナイマンは、生き残っているとは言わない)は、そろそろカーデューを抜いたのではないか。(c)は、ティルパリー2003年のソロ即興。ピアノのプリパレーションの探求としてケージの先を行った記念碑的録音。新鮮な中にも懐かしさを湛えた味わいは、ヴァンデルヴァイザー楽派が米国実験主義から継承できなかった部分だ。(d)のデュオには、無骨な旋律をベースにした力と年季の入った音楽という印象があったが、そのような部分を意図的に排除すれば、たちまちこのような強力な音響的即興のできあがり。彼らが「音響派」を批判する気持ちもわからないではない。(e)は、メルツバウの1999年(ラップトップ移行初期)のデジタル臭の強い音源を、現在の視点から練り直したもの。ドラムループやギターループを素材にできるなら自分の以前の音源も、ということだろうが、サンプリング音源に頼らずにリアルなコンピュータ音楽が作れるようになったのは大きな飛躍だ。 (p) Mendelssohn: String Quartets (Henschel Quartet; ARTE NOVA, 82876 64009 2) (q) Iannis Xenakis: Music for Strings (mode, 152) (r) Eva-Maria Houben: dazwischen / immer anders (Edition Wandelweiser, EWR 0407/8) (s) Denzler / Guionnet / Kinoshita / Unami: Vasistas (creative sources, 022) (t) Otomo Yoshihide's New Jazz Orchestra: Out to Lunch (doubtmusic, dmf-108) こちらは上記5枚ほどではないが、何らかの記録には残しておきたいディスク。(p)は、ヘンシェル四重奏団がデビュー以来コツコツと録音してきた音源をまとめたもの。近年メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲は、バルトークに代わる若手の登竜門になりつつあるが、それらの録音の中では丁寧さで一歩抜けている。(q)はタイトル通り、クセナキスの弦楽合奏作品集成だが、弦楽四重奏編成から外れる《Theraps》(Cb.ソロ)も収録されている。《Analogique a+b》など、演奏機会が少なかった1960年前後の作品に比重を置いた選曲を評価したい。(r)は、ヴァンデルヴァイザー楽派の音楽に出会って作曲家に転じたオルガニスト=音楽学者のオルガンソロ作品集(もちろん自演)。送風音とストップ切り換えノイズのドローンの中に、何の変哲もない楽音をぽつぽつと投げ込む、独自の音楽。(s)は、2003年の即興ライヴ。前回のベスト5で取り上げたHubbubの主要メンバーふたりと、ヨーロッパツアー中の木下和重と宇波拓の出会いの記録。緊張感が高く、音楽的にもなかなか充実しているが、Guionnetの沈黙系の演奏は珍しいので挙げた。(t)はタイトル通り、ONJOがドルフィー《Out to Lunch》を全曲カヴァーしたアルバム。2005年1月のオーケストラ・プロジェクト開始時の録音で、現在の安定したユニットと比べてしまうと散漫だが、2006年2月のライヴ録音が出るまでは一定の価値はあると思う。
2005年4月に職場が変わり、本来の職種に戻れたのだが、長年の空白を取り戻すには膨大なエネルギーが必要で、それでなくても未聴盤の山を築いているのに、更に状況が悪化することになった。 クレンペラーとウィーン・フィル(TESTAMENT)やコンセルトヘボウ管の「放送用ライヴ録音集成 vol.3」(Radio Netherlands Music)をはじめ、重要なセット物を今回のセレクションに挙げることができなかったのは心残りだ。 バッハの両無伴奏曲集も、蒐集はずいぶん進んだのだが、ほとんどの音盤がしっかり聴けていないままになっているのが辛い。せめてペトレ盤をとも思ったが、今井のテレマンの完成度には及ばず、リストアップは見送らざるを得なかった。 幾多の音盤に後ろ髪を引かれつつ、それでも2005年の自分史にくっきりと刻むことになった5枚のCDを紹介したい。
2005年は何をおいても、ステーンハンマルの年だった。7月3日に日本初と思われるオール・ステーンハンマル・コンサートが開かれ(東京オペラシティ・リサイタルホール)、12月にはロサンゼルス・フィルが定期演奏会で代表作「管弦楽のためのセレナード」を採り上げた(指揮はエサ・ペッカ・サロネン)。両方のコンサートに足を運び演奏を耳にすることができたのは、まことに生涯の慶事といえよう。 当盤は、その7月3日の模様を収めたCD-R。ステーンハンマル友の会のWebpageで一般に頒布されている。 当日の演奏については音盤狂昔録(2005年7月)に詳述したが、実力十分の新進ソリストが揃い、見事な成果が披露された。 もちろんCDに収まりきらない音楽の精華やライヴでは免れない演奏上の傷は存在するが、いずれも作品への共感に満ちた、広く聴かれてほしい好演である。 中でも青木調のヴァイオリンによる2曲(ソナタ イ短調、二つのセンチメンタル・ロマンス)は素晴らしい出来。録音の少ない前者は愛好家の渇を癒すだろうし、後者の第1曲のテンポ感は理想のもの。両曲でピアノを担当した和田記代の濃やかな伴奏も美しい。
2005年にもっとも良く聴いたCDである。2004年の発売だから、最新作「ルネサンス・アルバム」を挙げた方が良いのかもしれないが、感銘・愛聴度では当盤が上回った。 タイトルは、セルシェルが愛奏する11弦のギターに由来する。通常の6弦の楽器よりも中低音の響きが豊かで、リュートに近い音色を味わうことができる。 このアルバムを知るきっかけになった、ギタリスト鈴木大介氏のblogの一節をぜひ紹介したい。 「なんでこんなにシンプルな和音がドラマティックに鳴らせるのでしょう、(略)不協和音に至っては、その都度十字架に掛けられたイエスの嘆き声が聞こえてくるみたいです。」 この言葉のとおり、一音一音に豊かな情感が宿っている。 静かな夜に、何か良い音楽を聴きたい、渇いた心を瑞々しく浸したいというときに、これほどふさわしい音盤はない。できれば少し音量を下げて、ひそやかに、かそけく、スピーカーを鳴らしたい。 ギターによるバッハといえばセゴビアが有名だが、彼のような雄弁さはセルシェルには見られない。慎ましやかに控えめであるが、それだけ聴き手の心にすらりと寄り添ってくれる感がある。感性の襞の、かゆいところを心地よく掻いてくれるような音楽だ。 バッハの有名な作品(無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番、「G線上のアリア」)はもちろん、ヴァイスのパッサカリア、パッヘルベルのリュート組曲、演奏者の母国スウェーデンのローマンやロジーの作品も(後者はセルシェルが図書館で掘り出したのだそうな)、どれも本当に美しい。素晴らしい音楽だと感じさせてくれる名演揃いである。
2005年、最も感銘を受けた弦楽の録音。 テレマンというと「ハンブルクの潮の干満」や「食卓の音楽」など、とかく描写音楽、娯楽音楽と軽く見られがち。しかし当盤では、ヴィオラの暖かく深い音色が音楽に重みを与えて、あたかもバッハやヘンデルの未知の曲集を聴く思いがする。 例えばCDでは2曲目に入っている第8番冒頭の、王者の風格のある優雅で美しい旋律はヘンデルに肩を並べよう。3曲目の第2番、重音の響きが美しいラルゴは、バッハの所謂「G線上のアリア」の塁を摩するものだ。 全12曲、いずれも傑作と呼びたくなるが、とりわけ第7番(CD5曲目)は聴きごたえがあった。ドルチェの慰藉や上機嫌なアレグロも良いが、続くラルゴの孤絶の深淵には粛然となる。これだけの音楽のあとでは、気が利いているとはいえおそろしく短いプレストを持ってくるほかに方法がなかったろう。 今井さんの演奏も、切れの良いリズム、エッジの利いたフレージング、スピード感溢れる弓捌き。金管楽器のように輝かしい高音から木質感の強い低音まで多彩な音色が実によく伸びて、カンタービレの精髄を示す。音程も心地よく、音を聴くだけでも堪能させられた。過去数多の名盤を生んだスイス(ラ・ショウ・ド・フォン)のホールでの優秀録音もあずかって功多い。 オリジナルのヴァイオリンによる録音の数々を脇にやっても、この演奏を座右に置いて愛聴したい。
2005年、入手できたことが最も嬉しかった音盤の一枚。『レコード芸術』誌の特集で大束省三氏が「一期一会の名演」と賞賛しておられたのを読んで以来、十数年来の探求盤であった。 1990年に亡くなった渡邉先生の追悼盤として発行されたCDで、モーツァルト;歌劇「魔笛」序曲(1974年9月11日)、シベリウス;交響曲第2番(1976年7月17日)、同;交響詩「タピオラ」(1986年2月28日)、ディーリアス;二つの水彩画(1986年11月12日)のライヴ録音を収めている。 フィンランドの血を引くということで渡邉先生には北欧・ヨーロッパのイメージが強いが、留学先はジュリアード音楽院で、音楽性の基本は意外に即物主義的だ。そのため、時に「かっちりしているがつまらない」演奏になることもあった。 このCDに収録された演奏は、いずれもその弊を免れた名演で、名匠のメモリアルにふさわしい。通常は落ち着いたイメージで演奏されることの多い「魔笛」序曲が、いくぶん前のめりに演奏される躍動感には瞠目させられる。「タピオラ」の意外な熱さには驚かされたし、ディーリアスでは弦の温かい響きが印象的だ。 そして白眉は先生十八番の「シベ2」で、楽員の一人々々まで確信が浸透した燃焼度の高い音楽を、胸を熱くして聴くことができた。 2006年に創立50周年を迎える日本フィルは、渡邉先生指揮のライヴCD全25枚を発行する予定だが、その中にはぜひこのシベリウスほかを加えてもらいたい。
1965年の録音でCD発売は1994年、今さら「2005年の〜」に挙げるのは申し訳ないが、一聴して耳と心を奪われた点、2005年の収穫として落とすことのできない音盤だ。 まず、フィッシャーのピアノの音の美しいこと! 粒立ちのくっきりした音で、芯は硬質だが表面は柔らかく輝く。コロコロと海から真珠が湧き上がるような、煌めきを誇っている。 肩肘を張らず、しかし凛として強い、そこここに豊麗なニュアンスを滲ませた音楽が、モーツァルトの明るい哀しみを伝えてやまない。ニ短調第2楽章の落ち着いた美しさ、同曲第3楽章コーダで見せるきっぷのよさ。ロンド(ニ長調 K.382)中間部の溶け入りそうな美しさなど、枚挙にいとまない。 いつぞやの工藤さんの名台詞を借用させていただくならば、「音楽の美しさとは何か、と問われれば、黙ってこのピアノを聴いてもらえばよい。」 オーケストラも、いくぶん肌理は粗いが、すべてのパートが生命感をもって生動している。フルートやオーボエなど木管も繊細で美しい音色を可憐に咲かせる。ニ短調協奏曲第1楽章でも悲劇性を強調しているわけではないが、音楽の性格は惻々と伝わってくる。ハ長調協奏曲第2楽章の弦のしなやかな美しさにも耳を奪われた。 Back to okuzashiki top |